好文亭
国の史跡及び名勝に指定されている偕楽園の「好文亭」は、江戸後期の水戸藩主別邸として茶会などを楽しむために建てられたそうです。
建物は外観からは二階建てのように見えるこけら葺の本体部分と、移築や増築された平屋建てで茅葺の「奥御殿」に分かれています。「奥御殿」部分は藩主夫人の休養だけでなく、非常時の避難場所としても計画されているそうで、それらの建物は玄関と廊下で中庭を囲むようにつなげられていました。
「奥御殿」は復元後にも火災で焼失してしまったそうで、再建築された現在は各部屋の名称にちなんだ美しい襖絵が描かれています。出入り口に近い「桃の間」は、食事の準備場所として使用されたそうです。中央付近の「紅葉の間」は女中の控え室で、奥まった位置にあるために薄暗い部屋でしたが、行灯の明かりによって華やかに紅葉が照らされていました。
奥御殿と本体部分を結ぶ「太鼓廊下」は、侵入者を防ぐために細く薄暗くなっていて、小さな格子窓を閉じると外部からは壁と見分けられないように工夫されていました。
御殿の奥に配置された「梅の間」は、最も高貴な居室として利用されたそうですが、広さに対する天井が高すぎて緊張感のある空間に感じられました。そして、他の付属する部屋と合わせて明治初期に移築されているそうで、この部分は屋根が茅葺ではなくこけら葺になっています。
建具を出隅部分も移動させるために、敷居と鴨居の樋端は平らに切り落としてありますが、そこで建具が外側へ倒れないように「雨戸廻し」で支える仕掛けになっています。そのために大量な雨戸が収納される戸袋は、室内側から開け閉めしやすいように襖や障子で仕切られていました!そして、開口部の両端から引き出される建具は、中央付近の入隅部分で突き当るように計画されています。実用のためというよりも、アイデアを楽しんでデザインされているような気もしました(笑)。
三階の座敷を囲む廊下から偕楽園を見渡すことができました
正室の八畳間では、天井の外周部分が壁側へ向かって斜めに落とされています。建物には隠し部屋のような中二階があるため、小屋裏の高さを少しでも抑えるように屋根の勾配と合わせて天井の形状が工夫されているようです。
そして、室内の意匠を合わせるため、屋根の影響がない部分にも勾配が付けられていると思われます。
東側の障子は四枚のうち三枚が連動するようになっていて、鴨居の溝は建具を引き出す部分にだけ彫り込まれていました。
東側の障子は四枚のうち三枚が連動するようになっていて、鴨居の溝は建具を引き出す部分にだけ彫り込まれていました。
袖垣の奥にある貴人口には面格子が設けられていて、茶室には入れませんでした。
室内は小さく簡素で気持ちが落ち着きそうな空間です。結局ホッとするのは、こんな空間だったりします(笑)。
コメント
コメントを投稿