ライト、レーモンドから前川國男、吉村順三へ(後期)

 自由学園明日館公開講座「ライト、レーモンドから前川國男、吉村順三へ(後期)」

第1回のテーマは『レーモンドは戦前に木造モダニズム建築を達成した』でした。
1919年に初来日したレーモンドは、民家やその町並みに近代建築の原理を見つけましたが、関東大震災によって木造の仕口と瓦屋根が地震に弱いことも経験したそうです。
独立直後のレーモンドには「ライト式」の設計依頼が多かったそうですが、1933年の「夏の家」で試みた丸太のボルト締め架構、1934年には合板による耐力壁を融合した工法が達成されたそうです。

第2回のテーマは、A. レーモンド設計「聖パトリック教会 (1956)」の見学会 でした。
「聖アンセルモ教会」と同じ時期に建てられたRC造の建築で、着工後の要望で中世の教会のような側廊を設けるため、折板構造の壁が柱と梁で支えられる構造に変更されたそうです。
また、現在の祭壇上部は鐘楼から自然光が降りてくるように計画されていて、天井はトップライトのように塞がれていますが、建築時は外気がそのまま室内まで繋がっていたそうです。
華奢な天蓋の設計は三沢先生の担当で、コンクリートをできるだけ薄くするように指示を受け、その後は構造の強度を心配されていたそうですが、現在は背面の壁から支えられて耐震補強されていました。

第3回のテーマは、『戦後のレーモンドはコンクリート構造の変化に努力』でした。
「群馬音楽センター(1961)」以降のRC造の設計は、折板構造からシェル構造に変化していきますが、その過程の『変化に努力』したことを講義していただきました。
「立教学院聖パウロ礼拝堂(1963)」では薄肉のシェル構造で計画されましたが、当時の計算機では構造計算に必要な能力が足らなかったそうです。
そのため、鞍型の正面に鉄骨の梁が必要になってしまい、構造を薄く見せるという設計意図が実現できなかったそうです。

第4回のテーマは、『その後の前川、吉村の活躍と成果』でした。
テーマにあわせて、A・レーモンドから建築家のあり方を学び独立した二人の代表的な作品と、それぞれの人柄を偲ばせるエピソードを紹介していただきました。

第5回のテーマは、『ライト、ユソニアン住宅と「落水荘」の黄金時代』でした。
シカゴの旧自邸兼事務所はF・L・ライトが22歳!の1889年に住宅部分が設計され、アドラー=サリヴァン事務所からの独立後にスタジオが増築されているそうです。
講義ではライトの波乱が多い略歴にあわせて、スキャンダルや恐慌による「低迷期」にアイデアが蓄積されたこと、その後の「黄金時代」について解説していただきました。

最終回のテーマは、『ライト、第3期黄金時代は大型建築と多くの住宅を残した』でした。
実現した大型建築と残された計画案の数々、そしてライトの設計した住宅が評価されて全作品の90%を占めるまでに普及したことを講義していただきました。
「自由学園明日館(1921)の自然に祈るような屋根の表現が、その後のユニテリアン教会(1951)でも同じようにデザインされている」という解説が感慨深く残っています。
時代やスタイルは変わっても、残ってゆく何かがあります!

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